1. 中学生活

支援学級から通常学級へ移るのは大変

娘は小学校を公立支援学級に在籍していましたが、中学校は公立通常学級に移ることになりました。

勿論、就学相談を経ての結果です。

娘の場合は、IQが境界域になるため、正直いって通常学級でも支援学級でも
どちらでも希望が可能な状態でした。
正直いって、支援学級のお友達でも、IQ高い子はいました。
問題は、その子の問題がどのような部分なのか・・で判断が迷う所だと思います。
娘の場合は、運動面が苦手なのでそこは回避させたいと考えました。

中学校を公立支援学級にする場合の進路

中学校を公立支援学級にする場合、家の地域の場合は、ほぼ100%が支援学校となります。
過去の進路の情報を見ても当時調べた時点では、そうなっていました。
これについては、自治体によって異なります。
中学校の支援学級を卒業後でも、私立高校へ進学しているという方もいらっしゃるようです。
その場合は、推薦入学は難しいので理解のある高校探しと相談が必要となると思います。
家から通える範囲の理解ある高校を探すのは正直大変です。

支援学校の場合の問題点

・支援学校は高校卒業資格は得られない
・手帳がないと(支援枠での)就職できない
・体力重視のため運動面を鍛えることがカリキュラムに含まれる

中学の支援学級を選ばなかった理由

中学校の支援学級は、毎日朝練と夕練と書いてあって、正直娘には酷だなと思いました。
娘は、運動ができないので(DCD:発達性協調運動症)
流石に無理なものを無理させたくないという思いがありました。
幼少期から小学校時代までは、トランポリン・運動教室・スイミング・かけっこ教室・・等に通って
いろいろと挑戦してみたものの、どんなに教えても難しい面があり
怪我しそうになることも多くて危ないのでしばらく通って断念しました。

後で知りましたが、DCD:発達性協調運動症の場合は、運動が驚くくらいできないのですが
体の使い方や模倣が上手くできないというものらしいです。
ですから、跳び箱や鉄棒や縄跳び等・・殆どできませんでした。(自転車も)

療育病院で運動リハに入った時は、やはり専門家のアドバイスは違うなと感じました。
特に体の使い方のアドバイスは、娘にも伝わりやすく改善した事も多々ありました。
しかしこういった運動リハは、通えても月1回となり、なかなか継続が難しかったです。

小学校高学年になるとコロナが始まり色々自粛生活が始まったので
習い事系は全て終わりにしました。

中学の通常学級を選んだ理由

選択肢は、2つしかありませんでした。
正直どちらも選ぶのが難しい状況だと思っていました。
勉強面でもそうですし、スポーツ面やコミュニケーション面でも課題が多く
とてもじゃないけれど厳しいんじゃないかと思った事もあります。
しかし、選択肢は2つしかありませんでした。

・公立の支援学級
・公立の通常学級

それで公立の通常学級を選択しました。最善とは思っていません。

中学の通級について

通級が学校内にあって通うことが許可されていましたが担当の先生が妊娠休暇で変わり
新しい先生があまりに酷くて即、通級をやめました。
新しい通級の先生は、娘に対して写真を取ったり自己紹介をさせたりというのを
毎回通級の時間にやられていて、通級でやって欲しい補助的な指導が一切ありませんでした。
前任の先生は、希望した指導をして頂いていたのに
新しい先生は、自分の考えた指導だけをすると強行されていて
それなので何度か話し合いをして通級を終了することにしました。

通級を辞める場合は、学校長の許可が必要だそうで
やめることはできないと半ば脅しのようなこともいわれたりしました。
結果的に何度も何度も話し合いをして、結果、通級はやめることになりました。
こんなに通級やめるのが大変とは思わなかったくらいの勢いでした。

中学の担任について

中学の担任の先生は、学年主任の女の先生でした。
私と面談する際は、凄く親身になっている風で話しているのですが
結果的に娘にそのように接するということはなく
面談では、「私がXXちゃんと他の子の間に入って輪に入れるようにお手伝いしますね」
と言っていたのに、一度もそのような事を娘にしたことはなく
基本的にそんな感じの先生でした。

水泳の授業は、全て見学にさせました。
DCD:発達性協調運動症に対して理解があると思えず、何かあってからでは遅いと思ったからです。
背も低いので溺れても誰も気が付かないのでは・・?と思いました。

中学1年の頃から面談で進路は私立高校を希望と話していましたが
担任の先生は「もっといろいろ見て、あうところにいった所が良いですよ」と
殆どこちらの話しは聞いてくれませんでしたし、ここはどう?というアドバイスも一切ありませんでした。

勉強について

授業についていくのは、かなり大変なようでした。
今までプリントだったので教科書やワークがあって、なかなか追いついていないようでした。
それにしても大量のワーク、テストの時に提出しないといけないのですが
あれは何?というくらいの量をさばくのは大変でした。
結果的に毎回平均以下の点数を取ってきていましたが、そこは許容範囲でした。

境界域知能の場合は、どんなに頑張ってもなかなか難しい面があると感じたのは
マンツーマンの塾に通わせたり、オンライン家庭教師をお願いしていたりもしましたが
娘には合わなかったようで基本的には、私と旦那さんが娘の勉強を見ていました。

今時の英語は・・・付いていくのしんどいというか、私は無理だーと思いました。

そんなこんなで娘の勉強をサポートしていました。

不登校について

娘が不登校になったら、サポート校に行かせようと考えていました。
そこで通えそうなサポート校を調べたりしていました。
選択肢としてはそういうのもありだなと思っていましたし、そうなってもおかしくないと思っていました。

不登校にならないように一番にやったこと

・往復の送迎を車でしました

徒歩10~15分程度ですが、1年生の後半頃から1人で帰る事が増えたのと
そういう時に、いじめられる可能性も高かったためです。

一応それで3年間、仲良しの友達は出来なかったけれど何とか学校に通って卒業しました。
コロナでマスクになったりイベントが軽減されたのが娘には良かったと思います。
それでも、何だかんだと修学旅行(京都)に行って楽しんでいたので
それなりに愛されキャラ?妹キャラでいられたのかなと思います。

そして何よりも無事に卒業できたことは、とても有難く感謝しています。

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